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十一代目團十郎と六代目歌右衛門 中川右介
 幻冬舎新書 2009年

歌舞伎を見たことない人でも、最近ニュースキャスターと婚約した某N田屋の御曹司が、派手な浮名を流していたことは知っているだろう。
でも、20年後30年後、彼が立派に代々の名前を襲名し、人間国宝だ文化勲章だという年齢になったとき、だれもそんなことは言ったり書いたりしないだろうし、(ファン以外で)そんなことを覚えている人も少ないだろう。

私が歌舞伎を見始めたのはちょうど平成になってから、平成歌舞伎ブームの始まりの頃である。
そのときすでに六代目歌右衛門は年老いて、声も小さく、動きもよたよたしていて、これが「至芸の極み」なんだと言われても、ビギナーには難解だなあ・・・と思った。

歌舞伎を扱うメディアも「演劇界」のような「機関紙」か、あるいはぴあの「歌舞伎ワンダーランド」のような歌舞伎を見にいこうよという啓蒙的なスタンスで、歌舞伎界の過去のスキャンダルはほとんど封印されていた。

歌右衛門については、若く美しい頃、三島由紀夫といい仲だった「らしい」とか、「男衆」と駆け落ちしたことがある「らしい」という「伝説」をちらっと耳にするくらいで。

歌右衛門が死んで9年たち、ついに「書いてはいけない」ことを書く人が出てきた。

大正六年(1917年)に生まれた六代目歌右衛門が、いかに政治的に立ち回りが上手く、いかにして戦後の歌舞伎界の最高権力を掌握したか、そしてそのしわ寄せを不器用で世渡り下手な十一代目團十郎がくらって、早死にした・・・一言で言えば、そういう作者の見解を膨大な資料から組み立てたノンフィクション。

作者は芸術家の「政治力」について書きたかったんだろうと思うけど、私には下世話な部分で非常に面白かった。

そんなに大昔の話ではない。
50年〜60年前、歌舞伎役者はバイセク当たり前、外に5人や10人の子供がいるのも当たり前、そんなことは問題にならない時代があった。

こんにちではすぐに芸能マスコミが騒ぎ立てるが、戦前は役者が何人もの女性と関係を持つのはごく当たり前のことだった。そういう風土に育った歌右衛門の同世代の役者たちにもさまざまな艶聞があるが、歌右衛門にはそれがない。彼が噂を立てられるのは、常に男性との関係だった。

・・・やっぱり「本物」だったのね。
親の勧めで有力者の娘と一度結婚しているが、妻は戦後すぐに亡くなっていて、2人の養子を「男手ひとつで」育てたことになっているけれど、多くの人が「形だけの夫婦だった」と推測する。
夫婦間のことは当事者にしかわからないはずなのに、みんながそう思っているというのは、子供ができなかったという事実だけでなく、そうとしか思えない理由があったのだろうと思う。

(守田勘弥と歌右衛門の蜜月時代)同じ時期、海老蔵(十一代目團十郎)と片岡我當というカップルもいたわけで、この四人だけが特殊というより、当時、歌舞伎の世界ではそうした関係が当たり前だったと考えたほうがいい。

そうそう。伝説の美男、十一代目も若い頃、女形とラブラブだった時代があった・・・それはこの人が早く亡くなっていることもあって、何かで読んだことがある。

とにかく歌右衛門には「男衆と北海道に駆け落ち事件」のほかにも、男関係多数、最後までライバルとしてバトルを繰り広げていた團十郎との、若き日の「無言の釣り」のエピソードも、BL読みとしてはそそられる。

別に同性愛関係が主眼ではないので、突っ込んで書いてあるわけじゃないが、女形一筋、芸に生きた歌右衛門の生涯には、初助師匠ばりの愛欲の修羅場があったであろうことは、充分に想像できる。妄想炸裂である。

BL歌舞伎(見に行くけど)なんてぬるいもんじゃなかったのよ、君たちのおじいさんたちの世代は・・・。

この時代の役者を題材に小説に書けるのは、歌右衛門をモデルにした「女形一代」を書いた円地文子が最後だったとありますが・・・BL歌舞伎を越える、歌舞伎BLを誰か・・・書いてみないかね。

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